【善光寺解説マンガ】善光寺はなぜ有名?そのルーツとは?【遠くとも一度は詣れ善光寺】

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「遠くとも一度は詣れ善光寺」

こんなことわざがあるくらい全国に人々に対して善光寺に来い来いアピールがされ、善光寺はとても有名なお寺です。しかし一地である信州のお寺がなぜそんなに有名なのでしょう?古都京都、奈良になるなら納得なのですが…。その理由は信州に住んでいる私ですら善光寺へ慣性でお参りに行っているのでよくわかっておりません。

このマンガは信州に住んでいるのに、善光寺が何であんなにチヤホヤさせているのかよく分からない人間が調べてマンガにした記事です。

目次

マンガ「玉子ちゃんは ちょっと善光寺に詳しい」


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善光寺は地方にある寺なのに「めっちゃ古い」から有名

何故、善光寺は全国の方々からこんなにも推されるのでしょうか?信州に住みながらよく行く善光寺ですがよくわかっていなかったので調べてみましたが、結果としては「めっちゃ古い寺」だからです。古都京都に古い寺が多くあるのに信州というド田舎に何であるのってトコロがポイントですね。

善光寺は無宗派、つまり日本に仏教が伝来する以前にルーツあり

日本では奈良時代に宗派が別れました。それ以前は日本の仏教は中国のマネごとで公式に認められていませんでした。現在で例えるなら同人誌と公式の関係です。仏教を公式として認められるには公式の僧が授戒という儀式を行わなければいけませんでした。そこで呼ばれたのが当時の中国である唐から呼ばれた鑑真だったのですが、彼が命を懸けて日本に来日したおかげて公式の仏教と認められて宗派が作られたのですね。というわけで、それ以前は宗派というものがなく無宗派でした。善光寺は無宗派ですので、奈良時代以降にルーツを持つお寺ということになります。

一光三尊阿弥陀如来像が日本で一番古い仏像【古墳時代】

仏教が日本に伝来したのは西暦538年とされています。奈良時代のふたつ前の古墳時代です。その後、善光寺にご本尊である一光三尊阿弥陀如来像が欽明天皇十三年(552年)に百済より贈られたと語られています。これが日本で一番古い仏像とされています。

このキーアイテムとなる「一光三尊阿弥陀如来像」は別名「善光寺式阿弥陀三尊」とも呼ばれ、後々善光寺の絶対秘仏のご本尊としてまつられています。なお、それを模した前立本尊が7年に1度の善光寺御開帳時に公開されます。

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善光寺式阿弥陀三尊 - Wikipedia

一光三尊阿弥陀如来像が川へ捨てられる 【古墳時代】

現在の大阪府に衣摺という場所があります。

587年にここで丁未の乱という日本初の宗教戦争が勃発するのですが(衣摺の戦いともいいます)、これに至るまでに仏教が伝来したことにより仏像を巡ってひと悶着あります。既に日本には神道という宗教があるわけでして、異国の宗教である仏教が幅を利かせてくると許せなくなってくる人たちが出てきました。物部氏という人物がヤマト政権の大連という軍事を司る役職に就いていた人物です。彼らは異国の宗教を崇拝し始めていた蘇我氏が許せませんでした(この蘇我氏は645年の大化の改心で暗殺されてしまう蘇我蝦夷、蘇我入鹿親子の先祖です)。当時の蘇我氏は天皇の外戚であるが、権力が低かった為に仏教という新しい宗教を使い政治的主導権を掌握しようと考えていました。仏教を崇拝する蘇我氏は崇仏派、仏教を排除に本来の神道の崇拝を守ろうとする物部氏は廃仏派と呼ばれます。

そして、蘇我氏は自分の屋敷で物部氏に隠れて一光三尊阿弥陀如来像を祀っていたのですが、物部氏がこれを奪い川へ捨ててしまったのです(難波の堀江に捨てられたといわれています)。これをきっかけに蘇我氏と物部氏の仲は決定的に悪くなり宗教を理由とした権力争いになり587年に丁未の乱が勃発。結果としては蘇我氏が勝利し、仏教は崇拝されていくのでした。以降645年の大化の改心で子孫である蘇我蝦夷、蘇我入鹿親子が暗殺されるまでの約60年間、蘇我氏による仏教を駆使した独裁政治が行われるのでした。

一光三尊阿弥陀如来像が拾われ、信州飯田へ 【飛鳥時代】

さてさて、川へ捨てられた一光三尊阿弥陀如来像はどこへ行ったのでしょう?当時捨てられたのは古墳時代(250年頃〜6世紀末頃)ですが時代は流れ古墳時代の次、飛鳥時代になります。善光寺の名前の由来にもなる本田善光(ほんだよしみつ)という人物が一光三尊阿弥陀如来像を川で拾います。そして大阪から自分の自宅がある長野県飯田市へ持って帰るのでした。

一光三尊阿弥陀如来像、飯田市から長野市へ 【飛鳥時代】

そして、飯田市の自宅に帰った本田善光ですが、なんと自宅に一光三尊阿弥陀如来像を祀ります。そして彼の自宅が元善光寺になったとさています。元善光寺というのは天台宗の寺院ですが長野市にある善光寺より寺院となったのが後の為、元善光寺と呼ばれています。その後、皇極天皇元年(642年)、勅命により一光三尊阿弥陀如来像は芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座され今の善光寺になったというわけですね。

まとめ

前半にキーアイテムとなる一光三尊阿弥陀如来像のルーツを記述しました。これは古墳時代にルーツがあります。善光寺のルーツは飛鳥時代からになりますが、そのエピソードは下記です。

  1. 飛鳥時代に本田善光、一光三尊阿弥陀如来像を拾う(古墳時代に 物部氏が難波の堀江に捨てた蘇我氏の仏像)
  2. 本田善光、故郷の飯田市に一光三尊阿弥陀如来像を祀る(祀った場所が自宅であり、そこが後々の元善光寺になる)
  3. 勅命により一光三尊阿弥陀如来像は芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座された
  4. 一光三尊阿弥陀如来像が遷座された場所が後々の善光寺になった

というわけで、善光寺のルーツを解説させて頂きました。なるほどこんなルーツがあったんですね。善光寺より古い寺は京都や奈良にあるのだろうけど、一番古い仏像はなんと信州にあるんですね。というわけで信州に来たら是非、善光寺に行ってみてくださいね。というわけで「遠くとも一度は詣れ善光寺」と言うといわけですね。

なお、飯田市から長野市へ一光三尊阿弥陀如来像を移す際に「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という仏勅(お告げ)があったらしく、「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」といわれています。つまり善光寺だけではなく高速道路で片道2時間以上はかかるであろう元善光寺にも詣って善光寺詣りは完成するということなんですね。大変です…。

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