2021年あけましておめでとうございます。2021年は丑年ですので、今回は信州のことわざ「牛に引かれて善光寺参り」の意味と由来を解説します。
「牛に引かれて善光寺参り」とは

「牛に引かれて善光寺参り」
他県の人には馴染みのないことわざかと思いますが長野県民ならみんな知っているような有名なことわざです(北信だけかな?)
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そもそも善光寺とは?
善光寺は北信に住む長野県民の心です。沖縄の首里城、北海道の五稜郭などその街のシンボル。それが長野の北側のエリアに住む県民のシンボルとなるのが善光寺なのです。
このお寺は無宗派のお寺です。つまり奈良時代に鑑真が日本の仏教に宗派という概念を持ってくる以前の寺。つまり飛鳥時代に由来する歴史あるお寺なんですね。古都である京都・奈良など無宗派のお寺は多いかと思いますが、当時未開の地であろう長野にこんな歴史あるお寺が由来するのがエモいポイントでしょう。
ご本尊は日本最古と伝わる善光寺式阿弥陀三尊。そんな仏像が長野になるなんてねぇ…。

「牛に引かれて善光寺参り」の由来
これは割と長野に住んでいると聞かされる地元の昔話なんですが、
昔、信濃の国、小県の里に心が貧しい老婆がいました。(現在長野に小県郡とありますが、現在の小諸市といわれています)ある日、軒下に布を干していると、どこからか牛が一頭やってきて、その角に布を引っかけて走り去ってしまいました。

老婆は布を奪い返そうと牛を追いかけましたが、牛の逃げ足は早く、全然追いつきませんでした。しかし老婆は諦めずに牛を追いかけていきました。すると善光寺に到着。辺りは日が沈み暗くなり、牛を見失ってしまいました。ところが善光寺の仏さまの光明がさながら昼のように老婆を照らしました。ふと、足下に垂れていた牛の涎(よだれ)を見ると、まるで文字のように見えます。その文字をよく見てみると
うしとのみおもひはなちそこの道に
なれをみちびくおのが心を
と書いてありました。老婆はたちまち菩提の心(仏様を信じて覚りを求める心)を起こして、一晩中ご本堂である善光寺如来様の前で念仏を称えながら夜を明かしました。昨日追いかけてきた布を探そうとする心はもうなく、家に帰ってこの世の無常を嘆き悲しみながら暮らしていました。
その後、近くの観音堂にお参りしたところ、あの布がお観音さんの足下にあるのを発見。ということは、あの牛はこの観音菩薩様の化身であったのだと気付き、ますます善光寺の仏さまを信じて、めでたくも極楽往生を遂げました。

そしてこのお観音さまは今、布引観音といわれています。これを世に「牛に引かれて善光寺参り」と語り継いでいるのであります。
東都錦朝楼芳虎「牛に引かれて善光寺参り」より
「牛に引かれて善光寺参り」の意味
というわけで、信仰心のないお婆さんが思いがけないものから普段なら絶対に行かないお寺に意外な存在に導かれるという、このお話から
「思いがけない良いことが、ご縁で導かれる」
という意味で使われます。

考察
これ、お婆さん現在の小諸から善光寺まで牛を追いかけていくんですが、GoogleMapで検索してみると約60kmと表示され徒歩で11kmと膨大な距離を移動しているわけですよ。お婆さん元気よすぎでしょと個人的には思うのでした。

ちなみに電車で2時間。車で1時間半ぐらい。おそらく貴重な布だったのでしょう。
それでは、2021年もよろしくお願いします。私の今年の目標はいっぱい絵を描くです!
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